東洋の先史時代
1.東洋の先史時代について
私たちが暮らす現代社会は、長い歴史の積み重ねの上に成り立っています。その中で「先史時代」とは、まだ文字による記録が存在せず、考古学的な遺物や遺跡などを手がかりにしてしか知ることができない時代を指します。日本や中国、インドなどの東洋世界にも、古代文明が成立する以前の長い先史時代がありました。そこでは、人間が狩猟採集生活から農耕定住社会へと移行し、やがて文明の誕生へとつながる重要な変化が起こっていたのです。
本稿では、東洋地域における先史時代の特徴や代表的な文化、そしてその歴史的意義について、地域ごとにわかりやすく説明していきます。
2.先史時代とは何か
先史時代は、一般的に「文字が発明される前の時代」を指します。人類が文字を用いるようになったのは、おおよそ紀元前3000年頃からとされており、それ以前はすべて先史時代に含まれます。東洋世界においても、この定義に基づいて文字以前の文化を「先史文化」と呼びます。
この時代を研究する手段としては、発掘された石器や土器、骨角器、住居跡、埋葬などの考古学的資料が中心です。考古学的には、「旧石器時代」「新石器時代」「金属器時代」といった区分が用いられ、これにより人間の生活様式や技術の発展を追うことができます。
3.中国の先史時代
中国は東洋世界において最も早くから文明が発達した地域の一つであり、その先史時代も非常に多様で豊かな内容を持っています。
4.旧石器時代の中国
中国における人類の痕跡は、北京原人(ホモ・エレクトス)に代表されます。北京原人は約70万年前に現在の北京市郊外で生活していたとされ、火を使用し、狩猟採集生活を営んでいたことが確認されています。他にも藍田原人や元謀人など、様々な旧人類の存在が明らかになっています。
この時代の特徴は、粗雑ながらも加工された石器の使用です。打製石器を用いて動物を狩り、木の実や根を採集しながら生活していました。また、火の使用や簡単な住居の跡も見られ、人類の知恵の進化がうかがえます。
5.新石器時代と仰韶文化・龍山文化
紀元前7000年頃から中国にも新石器時代が訪れます。この時代の代表的な文化が仰韶(ぎょうしょう)文化と龍山(りゅうざん)文化です。
仰韶文化は黄河中流域を中心に栄えた文化で、彩文土器と呼ばれる美しい模様の土器が特徴です。農耕(特にアワやキビなどの雑穀栽培)が行われ、犬や豚などの家畜も飼育されていました。定住生活が始まり、集落が形成され、社会的な秩序も徐々に生まれていったと考えられています。
次に登場するのが龍山文化で、これは仰韶文化よりも発展した文化とされています。黒陶と呼ばれる薄くて精巧な黒い土器が出土しており、陶器製作技術の高さを示しています。また、この時代になると集落に城壁が築かれ、階級や戦争の痕跡も見られるようになります。こうした点から、国家形成への第一歩が始まった時代とも評価されています。
6.インドの先史時代
インド亜大陸でも先史時代の遺物が多数発見されています。南アジアでは特に農耕の開始や都市文明への移行が重要なテーマとなります。
7.初期の人類と石器時代
インドでは、約200万年前から人類が活動していたと考えられており、様々な打製石器が出土しています。南部やデカン高原では、後期旧石器時代の遺跡が多く見つかっており、人々は狩猟と採集を行いながら移動生活を送っていたようです。
8.新石器時代と農耕の始まり
紀元前7000年頃から、インド北西部のバローチスターン地方(現在のパキスタン)では、すでに農耕生活が始まっていたことがわかっています。メーガル遺跡では、牛や羊の家畜化、小麦や大麦の栽培などの痕跡が確認され、農耕社会への移行が進んでいたことが伺えます。
このように、インドでも農耕と定住が先史時代の中で徐々に確立されていき、やがてインダス文明のような大規模な都市文明へとつながっていきました。

- 日本列島の先史時代
日本でも、先史時代は非常に長い時間をかけて展開されてきました。大きく分けて、旧石器時代・縄文時代・弥生時代に分類されます。
旧石器時代の日本
日本列島に人類が現れたのは、およそ3万年前とされています。旧石器時代には、打製石器を使って狩猟を中心とした生活が営まれていました。ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物を追い、移動を繰り返していたと考えられます。
この時代は文字通り「石の時代」であり、土器の使用はまだ見られません。しかしながら、近年の研究により、旧石器時代の遺跡も多く発見され、当時の人々の生活の様子が徐々に明らかになってきています。
縄文時代:世界に誇る長期文化
約1万3千年前から始まる縄文時代は、日本特有の非常に長く続いた文化期です。縄文土器と呼ばれる縄目の模様を持つ土器が特徴で、世界最古級の土器文化として注目されています。
この時代の人々は、狩猟・採集・漁労を行いながらも定住生活を営んでいました。竪穴住居を中心とした集落が各地に作られ、食物を貯蔵する技術や埋葬の習慣なども発達しました。また、縄文土偶などの宗教的儀式や芸術の存在も確認されており、精神文化の豊かさがうかがえます。
弥生時代と稲作文化
紀元前4世紀頃から始まる弥生時代には、中国や朝鮮半島からの影響を受けて、稲作農業が本格的に導入されました。これにより、日本列島でも農耕社会が形成され、集落の大型化や貧富の差の拡大が進みます。
弥生土器や高床式倉庫、鉄器や青銅器の使用など、文化の高度化が見られるようになり、次第に古墳時代へと移行していくのです。
- 先史時代の意義
東洋の先史時代は、文明の基礎を築いた非常に重要な時期です。この時代に人類は自然と向き合いながら、生きるための技術や知恵を蓄積していきました。火の使用、道具の発明、農耕の開始、家畜の飼育、集落の形成、宗教や儀式の誕生といった出来事は、すべて後の文明に繋がる礎でした。
また、先史時代は「文字のない時代」であるため、現代の私たちが過去を考古学的資料から想像し、再構築していくという点でも非常に魅力的な時代です。遺跡や出土品を通じて、無文字社会の人々がどのように生活し、何を大切にしていたのかを学ぶことができるのです。