東洋史概観
はじめに
東洋史とは、アジア地域の歴史を扱う分野であり、主に中国、朝鮮半島、インド、東南アジア、日本などの歴史が対象となります。ここでは紀元前から近現代までの東洋史の大まかな流れを、重要な年代と出来事に注目しながら概観していきます。
1.紀元前の古代文明と国家形成(紀元前3000年頃〜紀元前221年)
東洋史の起点として、中国文明とインダス文明が挙げられます。黄河流域においては、紀元前3000年頃から仰韶文化や竜山文化といった新石器時代の文化が栄えました。その後、紀元前1600年頃に中国最古の王朝とされる殷(いん)が成立します。青銅器文化と甲骨文字を特徴とする殷は、シャーマニズム的な王権を有していました。
殷を倒して紀元前1046年頃に成立した周(しゅう)は、封建制度を導入し、中国社会に長く影響を与える体制を築きました。やがて周の力が衰えると、諸侯たちが独立性を強め、「春秋戦国時代」(紀元前770年〜紀元前221年)に突入します。この時代には儒家、道家、法家などの諸子百家が登場し、東洋思想の礎が築かれました。
インドでは紀元前2500年頃からインダス文明が栄え、モヘンジョ=ダロやハラッパーといった都市が形成されましたが、紀元前1900年頃には衰退します。紀元前1500年頃、アーリヤ人がインドに進入し、ヴェーダ時代が始まります。これが後のカースト制度の起源となりました。
2.中国統一と古典時代(紀元前221年〜3世紀)
紀元前221年、中国では秦(しん)が中国を初めて統一しました。秦の始皇帝は中央集権的な制度を整え、度量衡の統一や万里の長城の建設を行いましたが、わずか15年で滅びます。
その後、漢(かん)が成立し、前漢(紀元前206年〜8年)と後漢(25年〜220年)に分かれます。漢は儒教を国教化し、官僚制度を整備しました。また、張騫(ちょうけん)の西域遠征により、シルクロードが開かれ、東西交流が活発化します。特に、仏教はこの時代にインドから中国へ伝来し、後の東アジア文化に大きな影響を与えました。
インドでは紀元前4世紀にマウリヤ朝が成立し、アショーカ王(在位紀元前268年〜232年)のもとで仏教が国家的に保護されます。アショーカ王の死後、マウリヤ朝は衰退しますが、後のグプタ朝(4世紀〜6世紀)で再びインド古典文化が栄えることになります。
朝鮮半島では、紀元前1世紀頃から三韓(辰韓、馬韓、弁韓)が形成され、やがて高句麗、百済、新羅という三国が台頭します。日本列島では弥生時代(紀元前300年頃〜3世紀)が展開し、稲作農耕社会が発展しました。
3.中世の東洋(4世紀〜13世紀)
中国では、三国時代(220年〜280年)、西晋・東晋を経て南北朝時代(420年〜589年)となり、政治的分裂と異民族の進出が続きました。589年には隋(ずい)が中国を再統一し、科挙制度を整備します。その後、唐(とう)が618年に成立し、東洋の古典文化が最高潮を迎えます。唐は律令制度を整備し、長安は国際都市として栄えました。日本や朝鮮、ベトナムなどに大きな文化的影響を与えました。
唐の滅亡後、五代十国を経て宋(そう、960年〜1279年)が成立します。宋は経済・文化が高度に発展した時代で、印刷技術や羅針盤、火薬などの発明もこの時代に進みましたが、軍事的には弱体であり、遼、西夏、金といった北方民族との対立が続きました。
インドでは、グプタ朝滅亡後にヒンドゥー文化が再興し、その後イスラーム勢力が侵入します。1206年にはデリー・スルタン朝が成立し、インドにイスラーム王朝が根付き始めます。
朝鮮では三国時代の統一を目指す新羅が7世紀に唐の援助を受けて統一を達成し(676年)、統一新羅時代が始まります。その後、10世紀に高麗(こうらい)が成立し、仏教文化を中心とした国家体制が整えられました。
日本では飛鳥時代(6〜8世紀)に仏教が公伝され、律令国家としての整備が進みます。平安時代(794年〜1185年)には国風文化が発展し、中国との交流が限定的になる一方で、日本独自の文化が形成されました。
4.モンゴル帝国とイスラーム世界の拡大(13世紀〜16世紀)
13世紀にはチンギス・ハンによってモンゴル帝国が築かれ、ユーラシア大陸の広範囲を支配しました。元(げん)はその一部として1271年にフビライ・ハンが中国に建国し、1279年には宋を滅ぼして中国全土を支配します。元は東西交易を促進し、マルコ・ポーロらも来訪しました。
しかし、元は内政の不安定さや漢民族の反発により、1368年に明(みん)によって滅ぼされます。明は海禁政策をとりつつも、鄭和(ていわ)の南海遠征によって一時的に海外進出を試みました。
インドでは、1526年にバーブルがムガル帝国を建国します。ムガル帝国はイスラーム王朝でありながらもヒンドゥー教徒との融和をはかり、アクバル大帝の時代に最盛期を迎えます。
朝鮮では高麗が1392年に滅び、李氏朝鮮が成立します。李氏朝鮮は儒教を国教化し、官僚制度と科挙を整備しました。ベトナムでは李朝、陳朝を経て、明の支配を受けた後、黎朝が明からの独立を果たします。

5.近世から近代への転換(17世紀〜19世紀)
中国では1644年に明が滅び、満洲族の清(しん)が成立します。清は多民族国家として中国を統治し、康熙帝や乾隆帝の時代に最盛期を迎えました。しかし18世紀末以降、欧米列強の進出によって中国は動揺を見せ始めます。特に1840年のアヘン戦争は清の衰退の象徴とされ、西洋列強による半植民地化が進行します。
日本では江戸時代(1603年〜1868年)が始まり、徳川幕府による長期の平和と安定が実現しました。鎖国政策をとりつつも、蘭学を通じて西洋知識も徐々に受容されました。幕末には欧米列強の圧力により開国し、明治維新へと向かいます。
インドではムガル帝国が18世紀に衰退し、イギリス東インド会社が実権を掌握します。1857年のセポイの反乱(インド大反乱)を経て、1858年にはインドは正式にイギリスの直轄植民地となります。
朝鮮では李氏朝鮮が長期にわたって続いていましたが、19世紀には国内の動乱や西洋列強の接近に直面します。
6.近代から現代へ(19世紀末〜20世紀)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、アジア諸国は欧米列強の侵略や支配に苦しむ一方、近代化の波にも晒されます。日本は明治維新(1868年)以降、西洋技術を取り入れて急速に近代化を果たし、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)を経て列強の仲間入りを果たします。
中国では清が辛亥革命(1911年)によって滅亡し、中華民国が成立しますが、軍閥の台頭や共産党との内戦など、政治的混乱が続きました。やがて毛沢東率いる共産党が1949年に中華人民共和国を建国し、社会主義国家としての道を歩みます。
朝鮮半島は日本の植民地支配(1910年〜1945年)を受け、第二次世界大戦後には南北に分断され、朝鮮戦争(1950年〜1953年)を経て現在に至ります。
インドは非暴力運動を展開したマハトマ・ガンディーらの尽力により、1947年にイギリスから独立しました。東南アジア諸国も第二次世界大戦後に次々と独立を果たし、現代の国家体制が整えられていきます。
7.まとめ
このように、東洋史は各地域が相互に影響を与えながら展開してきました。古代の文明の萌芽から、帝国の興亡、宗教や思想の広まり、そして西洋との接触による近代化といった歴史の流れは、現在のアジア諸国の文化や政治体制にも深く関わっています。東洋史を学ぶことは、アジアの過去だけでなく、現代と未来を理解するための手がかりとなるのです。